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Buildシリーズは再開発が進むカスタマカフェ 八重洲店周辺の風景を様々な角度から切り取り一枚の画面に再構成して描くことで絶えず開発、拡大して文化の中心地であり続ける東京の街並みを表現した。

日比谷駅近くの晴海通りから、東京駅の御幸通りを結ぶ丸の内のメインストリート「丸の内仲通り」。有名ブランドの路面店から雰囲気の良いレストランやカフェが軒を連ねているこの通りは東京の持つ都会的で華やかな空気感を存分に味合わせてくれる。ショーウィンドウの格子と街の直線で構成し、東京のトレンドを牽引してきた丸の内周辺のきらびやかな風景をロマンティックな色調で描いた。

Buildシリーズは再開発が進むカスタマカフェ 八重洲店周辺の風景を様々な角度から切り取り一枚の画面に再構成して描くことで絶えず開発、拡大して文化の中心地であり続ける東京の街並みを表現した。

火事と喧嘩は江戸の華と言われたように、江戸の町は常に火災に見舞われてきた。しかし焼かれても焼かれても人々は町を再建し、より大きくより豊かに発展させてきた。そしてコロナウイルスという災いが世界中を覆っている現在、カスタマカフェ 八重洲店周辺では複合施設「東京ミッドタウン八重洲」を始めとした再開発事業が進められ、東京はさらなる変貌を遂げようとしている。災いのたびに力強く拡大しきた東京の街並みを鮮やかな色彩と直線的な表現で描いた。

世界一のタワーを目指して東京スカイツリーを建設する上で、日本人にとって馴染み深く、東京・埼玉・神奈川の一部を含む大規模な地域を指す 「634=むさし」という数字が採用されました。

ペン先を壁面の凹凸に軽く当てながら描くことで、積み上げられた石の質感を表現しました。

古びた石造りの門の先には美しくそびえ立つ東京スカイツリーが出現します。そしてスカイツリーの頂上付近ではあの歴史的な戦いが繰り広げられようとしていますー。

石造りの門をくぐって、まるで過去から現在にタイムスリップするかのような作品に仕上げました。

江戸城無血開城によって江戸の町を戦火から守った西郷隆盛は、彼を讃える人々の寄付等によって現上野恩賜公園に銅像が建てられました。

令和となった現代もこの西郷隆盛像は東京のシンボルの一つとして多くの人々に親しまれています。きっとこれからも上野の西郷隆盛像は堂々と佇み、人々を見守っているのでしょう。

そして近未来の西郷隆盛像はひょっとするとこんな姿で私たちを守ってくれているかも知れません。

電気街が立ち並ぶ秋葉原は東京と言われて思い浮かぶ代表的な場所の一つではないでしょうか。またアニメ、ゲームの聖地としても知られ、世界中から人々が集う秋葉原は独特な文化が築かれています。

都会のシャープな印象を直線的な線や面で表現し、鮮やかな赤や青をポイントで使うことにより秋葉原のもつ活気や賑やかなイメージを演出しました。

東京は今日も人や物が行き交い、多くのもの、流行、価値観が生み出され、消費されていきます。

消費のシンボルであるバーコードを渋谷のクランブル交差点の白線に見立て、消費社会の中で行き交う東京の人々を表現しました。

額縁は実際に手で描き、中の絵は描いたものを特殊なフィルムにプリントアウトし貼付しました。デジタルで描かれた現代人とアナログで描かれたアンティーク調の額縁を組み合わせることで、そこから生じる違和感を感じ取ってもらえるような作品にしました。

壁に空いた大きな穴からは大都会東京の摩天楼が見渡せます。おや、この穴の形どこかでみたような…。よく見るとパンダが2匹とQRコードも。あなたは見つけられますか?

有機的なひび割れの線を、さまざまなペンを使って強弱をつけながら描いていきました。閉鎖的な階段に、開放的な摩天楼の風景を描くことで空間に奥行きとユーモアをもたらしました。

みなとみらいはかつて工業・物流の拠点でした。横浜市は工業地帯を移転させ新たな都市を作り出そうとする整備事業を進め、現在では『都市景観百選』にも選ばれた新しく美しい街並みが広がる近未来都市へと発展しました。
かつて100戸ほどだった寒村の横浜は2021年現在人口約370万人を越える大都市へと成長しました。1日かけて歩いた東京-横浜間も新幹線で20分足らずと当時では考えられないスピードで移動出来、夜には煌々と灯りが灯る街となり人々の暮らしは大きく様変わりました。
伊勢佐木や横浜の変遷を辿ることで、現在当たり前と思っていた距離や時間の感覚は西洋からもたらされた技術に影響を受け、変化してきたことに気づかされます。

様々な人々が行き交う現在の横浜を、文明の象徴である街の灯りを背景にモダンな配色で描きました。

1864年(元治元年)に呉服屋として創業した野澤屋は、モダンなサービスを提供することで横浜を代表する百貨店へと成長しました。昭和初期には外国人のデザイナーを招いて洋服のオーダーメイドを手掛けたり、松坂屋銀座店で指導を受けた女性車掌がいる無料送迎バスを走らせ人々の注目を集めました。
1911年(明治44年)にドイツ人貿易商が輸入した洋画を全国に先駆けて上映するオデヲン座を開館しました。新作公開を意味する『封切り』はこの劇場から生まれた言葉だとされています。
オデヲン座の近辺には多くの芝居小屋が立ち並び、伊勢佐木町は多くの人々が行き交い賑わう町となっていきました。

長らく人々に親しまれていたオデヲン座や野澤屋の送迎車を伊勢佐木町の賑わいとともに温かみのある色彩で描きました。

1964年(昭和39年)有色人種国家における史上初のオリンピックが東京で開催されました。東京五輪を目前に開業した東海道新幹線でしたがオリンピック中の人々はテレビ中継に夢中で外出が減り、オリンピック後に利用客が増えたそうです。

特急形電車のこだまは東京ー大阪間を7時間足らずで結び、日帰りビジネスを実現しました。食堂車や半室ビュッフェ車、そして全車両に冷房が備え付けられたりとサービス面で大幅な進化が見られました。こだまはビジネス特急として大好評で、当初から座席指定券の入手が困難な列車でした。                                                                                                                                                                        

昭和のほっこりとした雰囲気とオリンピックの賑わいを落ち着いた配色でノスタルジックに描きました。

1928年(昭和3年)に竣工したキングの塔の愛称を持つ神奈川県庁本庁舎は、シンメトリーな洋風建築の中にも日本趣味が感じられる帝冠様式が特徴の建築になっています。キングの塔、クイーンの塔(横浜税関)、ジャックの塔(横浜市開港記念会館)の『横浜三塔』を一度に見られるスポットを巡ると願いが叶う『横浜三塔物語』は浜っ子には有名な伝説となっています。

1920年代は西洋文化の影響を受けて最先端の流行を取り入れた若者、山高帽子でロイド帽子の「モダンボーイ」、膝下のスカートでボブカットの「モダンガール」いわゆる「モボ・モガ」が流行しました。また25歳以上の男子に普通選挙が行われるなど、個人の主義主張が認められ始めた時代でもありました。

キングの塔の堂々とした佇まいを背景に、徐々に変わりつつある人々のファッションや生活を明るく描きました。

鉄道の開通は文明開化を象徴する出来事であり、人々の関心を最も集めました。ごうごうと煙を吐き、地響きとともに猛スピードで駆け抜ける蒸気機関車は陸蒸気や鉄の馬と呼ばれました。その人気は弁当を持参して蒸気機関車を見物する人たちもいたほど。
当時草履や下駄を脱いで乗る乗客がいたり、汽車の地響きに驚いた漁師たちは魚が捕れなくなると嘆願書を提出するなど慣れない汽車を前にした日本人の珍騒動は数知れず。このようにして蒸気機関車は日本人の時間や距離の概念を変える大きなきっかけとなったのでした。

文明開化の象徴である蒸気機関車を手前に力強く描き、全体的にレトロで華やかな色彩にすることで活気ある時代を表現しました。